上の地図を見て、すぐ理解できたら・・・ジョン万次郎通だ。
万次郎が漂流してたどり着いた鳥島と
助けられて数年間住んだアメリカのマサチューセッツ州の
港町フェアヘーブンにグーグルにて、私が印を付けた。
『日本からフェアヘーブンに行くことは現代でもたいへんなことである。』
と『中濱万次郎-「アメリカ」を初めて伝えた日本人-』の著者であり、
中濱万次郎の子孫でもある中濱博さんは言っている。
マサチューセッツ州の州都ボストンまでの直行便はないので
日本からはニューヨークかワシントンへまず飛ぶ。
そこから国内線に乗り換えボストンへ。
さらに、車で1時間はかかるそうだ。
ジョン万次郎の米滞在の家、日米交流の記念館に
江戸時代末期に米国に渡り、開国に際して日米の懸け橋となったジョン万次郎(中浜万次郎)が米国で過ごした住宅を、聖路加国際病院の日野原重明理事長らが設立した団体が近く正式に取得することが2日、分かった。
住宅は、渡米第1号の日本人とされる万次郎の足跡を見つめ直し、日米の民間外交を再評価するための記念館に生まれ変わる。現地の支援団体は、これをきっかけに日本人観光客が増加し、交流が深まることに期待を寄せている。
取得するのは、渡米後最初に滞在したマサチューセッツ州のフェアヘーブンにある捕鯨船の船長宅。荒れ果てた状態で売り出されたことを知り、万次郎の生き方に共感を覚えていた日野原さんらが記念館開設を考えた。
意向を受けた知人が購入。立て替えられた費用に修繕費を合わせ約8000万円を支払うため、日野原さんらが1月に募金委員会を設立し、既に半額を達成。今後も募金を続けるが、早ければ4月中にも予定額が集まる見通しという。〔共同〕(02日 23:03)
日経新聞2008年3月3日(月)のニュースを読んで
万次郎のことが知りたくなった。
小学生の頃、国語の教科書に載っていたのは覚えているし、
幕末の小説や大河ドラマにも、少しだけ登場することがよくある。
けれど、その程度の知識しかなかった。
今回1冊の本を読んで、かなり理解が深まった。
新聞の記事には、ジョン万次郎研究家の北代淳二さんの話も載っていて
『日本はこれまで万次郎に対して「運の良い漂流民」といったような
見方をし、正当な評価を与えてこなかった。』と書かれている。
私は、まさにそのように認識していた。
なんと愚かなことだろうか。
万次郎は、日本にとってかけがえのない偉人だ。
それを最も理解せねばならないのは日本人なのに、
万次郎を評価し理解していたのはアメリカだった。
悔しいけど、それがあの頃のアメリカであり、
そんなアメリカを日本は恐れていたのだった。
blog ranking please click here!
中浜万次郎―「アメリカ」を初めて伝えた日本人
著 中濱 博
読み易いが読み応えもある本である。
Comments
中濱博先生が、急逝なさり、
ネットでフェアヘヴンの家の事調べていましたら
貴宅に辿り着きました。
万次郎氏が暮らした家には、訪れた事もありまして、
当時の持ち主の方の、維持状態が良くなく
悲しい思いをしていました。
中濱先生も、色々とややこしい問題もあったようで、
気にしておられましたが、日野原先生が動いて下さったとの事…
貴宅で読ませて頂いて、少しだけ安堵致しました。
ささやかながら、中濱先生のご冥福をお祈りすると共に、
ご紹介されている著書が少しでも多くの方々に読んで頂けるよう願います。
中濱博さんが急逝されたとのことで驚きました。
フェアヘーブンの家が荒れてしまっていたことを
1番心配されていたことでしょう。
そして、記念館になることを楽しみに
されていたかもしれません。
貴重な情報をありがとうございました。
Comment form