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2008.06.09 Monday
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小さい頃、自分が好きだと思う品物と友達が選ぶものとが
ずいぶんとかけ離れていて、何か自分の感覚に欠陥でもあるのではと
思い悩んだこともある。
しかし、人は皆違う人格を持つのだから、
その選択が異なるのは当たりまえ。
僕達は美術や骨董という、日常生活から少し離れたものに対する時、
使い慣れた一人一人のモノサシを放り出し、
西洋の人達の美術史や、
昔の日本のお茶人の美意識に頼りきってきたようだ。
西洋の美術は、あの乾燥した地中海の強い光の中でこそ成り立つもの。
湿気が多い日本の、障子を通した柔らかい光の中ではトテモ、トテモ。
又、死と対峙し、余分なものを削ぎ落として
道を究めた初期茶人の見事な精神も、
僕のように縁側でセンベイバリバリ、
番茶ズルズル派の人間にはしょせん無理。
美しさは知識からは見えてこない。
自由な眼と柔らかい心がその扉を開く鍵らしい。
ムツかしい理論よサヨウナラ。
高い品物の中にしか美しいものがないと信じている人、ゴクロウさま。
僕はせいぜい寝っころがりながら、自分のモノサシに油を塗り、
使い込んで柔らかくして、何ともない身のまわりの工芸品から
美しいものを選択して行こう。
それは又、自分自身を確立し、
歩こうとする道を明らかにすることでもあるはずだ。
坂田和實 著 『ひとりよがりのものさし』より 新潮社
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